人畜無害の散流雑記

別ブログ閉鎖で引っ越して来ました。自分のための脳トレブログ。

 感性に響かない記事

 まずはいつも通り、「朝日新聞朝刊」からの引用。
「中世以降、「法の支配」という考え方ができた。一人一人の人間が尊重されるよう国家も法に従うべきだということで、それを憲法という形にした。日本では主権者が明治憲法天皇だったが、戦後憲法では国民とした。」(23年5月3日「いちからわかる! そもそも憲法って?」
「3月に海外メディアが報じて以降、真相を求める声は日増しに高まり、事務所は謝罪に追い込まれた。」(23年5月16日「時時刻刻 謝罪のジャニーズ 真相には背」)
「原爆はどこに落ちたのか。それは日本に落とされた。過ちに満ちた苦難と惨禍を経て、78年前、もう二度と戦争はごめんだと誰もが思った。」(5月20日天声人語」)
 
 ずっと引っ掛かっているので、やはり文章にしておく。
 素晴らしく「中立的」「客観的」「静態的」な文章。朝日新聞は、読者の心に届く記事を書くよう努力していると時折紙面で訴えているが、この文章には心が入っていない。だから、何も伝わらない。
 「法の支配」という考え方ができたからと言って、「法の支配」が実現したわけではない。法は、その支持者が努力しなければ実現も定着もしない。時には血も流してきた。しかし、日本では、主権者を「国民とした」戦後憲法を日本国民自身が作成したのではない。それだけに、日本国民が血肉化するのにそれなりに苦闘する必要もあり、天皇主権の明治憲法に戻そうとする勢力とのせめぎ合いもある。
 ジャニーズ事件はまるで他人事のようだ。大手ジャーナリズムとしての責任を感じているのだろうか? 欧米の牧師の性犯罪はそれなりに報道してきたようだが、いざ足元の事件になると「調査報道の名」が泣く。なぜ、調査しなかったのか・できなかったのかその自己批判抜きには記事に深まりは出ない。「深層には背」とは自らに投げ掛ける言葉だ。
 原爆は「どこに」落ちたのか・落とされたのかが日本の歴史的課題ではない。「なぜ」落とされたのか? それは太平洋戦争の結果だ。満州の土地略奪・南京侵略・重慶爆撃などの中国大陸侵攻、インドシナでの食糧略奪など日本政府・日本軍の行動の結果だ。「自虐の歴史」抜きに「原爆」が落とされたのではない。日本は被害国ではなく、加害国なのだ。もちろん、当時の米ソ冷戦の影響はあるが、問題は「被害者」然とした態度だ。決まり文句の「二度と戦争はごめんだと誰もが思った」も本当だろうか? そう思った国民もいただろうが、「米軍の下でなら戦争に勝てる」「戦争があった方が儲かる」という風潮もあったろう。「片面講和」「安保条約」締結は、「戦争はごめん」という態度とは異なる選択だった。


 乏しい知識からぼやいてみたが、今の日本の大手紙のジャーナリストはこんなものか、とあきらめるしかない。反面教師とボケ防止に協力してくれていると思えばありがたいかな。