人畜無害の散流日記

別ブログ閉鎖で引っ越して来ました。自分のための脳トレブログ。

マスコミは、憲法討論・学習の場を365日設けよう

 2021年5月3日付朝日新聞朝刊に掲載された同社による郵送法全国世論調査(3000人対象、回収率73%)によると、「衆議院選挙の一票の価値が、都会では地方の2分の1程度でも憲法違反ではない」という最高裁の判断に対して、
 「大いに納得できる」4% + 「ある程度納得できる」36% = 40%
 「まったく納得できない」10% + 「あまり納得できない」40% =50%
となっていて、「日本の有権者」の法的意識が2分されている、としている。
 国政選挙のたびに、弁護士有志が「この判断」に異論を唱えて提訴するのが定例行事になっている。
 憲法14条第1項「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」を素直に読めば、基本的人権の核心部分の一つである「参政権」が、地理的要因で差別されて良い、とは理解できない。それを、「地方は過疎だから、都市住民の2倍の参政権を与えて良い」とするのが最高裁判決で、これは、本来、政治が議論すべき調整を司法が行っている政治的判断だ。地方の政治的評価を異常に高くするのは、藩閥政治の名残りなのだろう。
 「米軍基地」を巡る砂川事件の長沼判決(1959年3月)に関しては、最高裁の検討状況を最高裁長官が在日アメリカ大使に報告していたことが明らかになっているし、最近では、学術会議を巡って、内閣が任命するから「公務員の一員」であり、会議会員を内閣は選別できるという見解さえ大手を振ってまかり通っている。最高裁裁判官は内閣の任命だから、これも内閣好みに選別できることになる。いずれにしろ、日本の最高裁を含む裁判所は政治的に行政(国会・内閣)から独立できていないし、それを良しとしている。それが日本の現状であることを認めて、民主化していく努力が必要なのだ。
 さて、ここから本題に入る。放送を含めてマスコミ全体が、毎年5月3日の「憲法記念日」には憲法条文に絡む様々な特集を組むが、その場限りになっている。学校教育を含めて社会的にどれほどの憲法討論・学習が行われているのかを考えると、今回の朝日新聞の設問自体への法的理解度は不明で、感覚的に回答されているのではないかとの思いが強い。国民の憲法理解・浸透度の1素材としては有効かもしれないが、日本政界で現在行われている「憲法改正論議に寄与するにはまったくふさわしくない。
 安倍前首相が「憲法改正」を高らかに歌い上げてから8年経っても表層の論議を繰り返すだけで、現行憲法そのものの理解が深まっているとも思われない。ネットを含め、これだけの表現の場があるのだから、憲法討論のチャンネル・ユーチューブ・アプリなど365日8時間番組を作って、全103条を逐条検討する規模の国民的討議を組織できないだろうか。1年で終了する必要はない。社会的変化を含めて5年程討論すれば、論点を網羅・整理できるだろう。そうした継続的な憲法学習・討議抜きに世論調査を繰り返したところで、国民の一時的感情や保守性が表現されるだけで、日常生活の中で憲法を生かすこともできないだろう。

 開発独裁国家・中国

 今更ながらだが、「社会主義国家」を標榜する中国の社会構成をどう位置付けるのか、相変わらず各種引用で検討した。
 まずは「Wikipedia」(2021年2月25日現在)から。
「多くのアナリストは、中華人民共和国は21世紀における国家資本主義国家の代表格であるとしている。例えば、臨時憲法である中国人民政治協商会議共同綱領第31条には「必要かつ可能な条件のもとで、私的資本が国家資本主義の方向に発展するよう、奨励すべきである」とある。政治科学者イアン・ブレマーは著書The End of the Free Market: Who Wins the War Between States and Corporations『自由市場の終焉――国家資本主義とどう闘うか』において、社会主義市場経済を掲げる中国は2008年の世界金融危機以降、先進国の自由市場経済に対抗する国家資本主義を推進する中心的国家であると述べている。」
 それでは、「国家資本主義」とは何か? 以下もWikipedia(同上)。
 国家資本主義(state capitalism)=学者や立場により色々な意味で使用されているが、通常は、①国家が資本主義に介入し管理するもの(修正資本主義)、②国家が資本主義を推進するもの(開発独裁など)などを指す。
 ①の例。1929年からの世界恐慌により、自由放任型の自由市場経済には限界があると考えられ、各種の混合経済的な政策や体制が進められた。アメリカではニューディール政策など、国家や政府が資本主義に介入して有効需要の創出や需給管理が進められた(ケインズ主義)。ファシスト・イタリアでは政府・ファシスト党主導のもとに財界・労働組合・農民などが協調し、統制経済政策が進められた(コーポラティズム)。第二次世界大戦後の西ヨーロッパの社会的市場経済、特に北欧では政党・財界・労働組合・農民など、一元化された各利益代表の協調によるネオ・コーポラティズムが発達した。戦後日本の規制政策(北欧のようなコーポラティズムよりも多元的な傾向が強い)なども含めて呼ばれる事もある(比喩的に日本型社会主義とも呼ばれることもある)。
 ②の例。18世紀以降の啓蒙専制君主や日本の明治維新や戦後の「日本株式会社」、20世紀以降の開発独裁などは、国家が自由主義や資本主義を含めた近代化を推進した。ただし政治上の自由は厳しく制限した場合が多い。多くの国では一定の経済発展を成し遂げると民主化を進めていったが、権力者による私物化や汚職が長期間行われた場合は、近代化プロセスが破綻しクーデターや権力者の国外追放といった結末に結びつくことが多かった。現代においても、鄧小平時代後の中華人民共和国の改革開放、ベトナム社会主義共和国ドイモイ路線、シンガポール人民行動党政権、プーチン政権のロシア(政権によるオリガルヒ統制)などが国家資本主義と呼ばれることがある。
 さらに開発独裁(developmental dictatorship、developmental autocrat)に絞ると=経済発展の為には「政治的安定」が必要であるとして、国民の政治参加を著しく制限し、独裁を正当化すること。また、そのような政治運営を通して達成した経済発展の成果を国民に分配することによって、支配の正当性を担保としている政治体制。
 これらの解説に加えて、天安門事件ウイグル自治区の抑圧、そして香港対応を考慮したとき、中国国家=開発独裁となる。今回の香港対応は、「愛国者の統治」に至り、ついに住民の政治刷新権=革命権を奪ってしまった。「革命」政党の自殺行為だ。何と自称しようと、その本質は「開発独裁」で間違いない。
 Wikipedia社会主義」には次の記述もある。
「なお、現在、社会主義を標榜する国家は、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)、ベトナムラオスキューバの5カ国とされている。憲法などで社会主義を国家理念・国家政策として掲げる共和国であり、単に共産党が政権を担っているだけでは社会主義国とは呼ばれない(キプロスサンマリノ、ネパールなど)。狭義にはマルクス・レーニン主義を掲げる国家、広義には社会主義的諸政策を推進している国家である。」
 地球上に社会主義国家が生まれていない以上、形態は様々だが、5カ国とも国家資本主義=開発独裁とするしかない。
 これまでの「社会主義国家」はすべて戦争の余波と武力革命から成立しており、また、帝国主義国側からの軍事的干渉・転覆計画を過去何度も経験したこともあって、国内の政治的反対勢力を「反革命」としてとらえるというトラウマが非常に強い。
 加えて、「アジア的な社会、すなわち非ヨーロッパ的な社会においては、原始社会の解体後に最初の階級社会としてアジア的生産様式が成立し、かつそれに基づく経済的社会構成は、近代に至るまで、すなわちヨーロッパ列強によるアジア諸地域の植民地化、反植民地化まで続く」というマジャール、ウイットフォーゲルによる、アジア的生産様式=独自の社会構成説が生きている。これは、社会主義標榜国だけでなく、日本を含むアジア諸国全体に貫通する課題でもある。
 西欧では、封建主義の中で、王権と貴族・商工業者が対立し、自治的感覚を養い、資本主義の発達過程で、農民が「自由な」労働者化し、資本と対立してきた。つまり、資本主義の成立に沿って、民主主義を創り上げてきたといえる。アジアでは、資本主義・民主主義が突然、外から持ち込まれる形になっており、自国の歴史に見合った形での受け止め・定着が必要とされている。
 各国での資本主義の発展が、個人の民主主義的感覚を磨いていく速度が歴史的課題だろうし、それが各国での開発独裁からの解放を生み出すことになる。現代では、武力革命同様、武力による開発独裁の打倒は考えられない。アフガニスタン、シリア、イラクなどで証明済みだ。タイやミャンマーでは非暴力的抵抗が続いている。明が約200年、清が約300年、それくらいの単位で見ていくことになろう。アメリカ合州国本多勝一流表記)は、南北戦争から170年経っても、人種・民族・宗教による差別が厳然と存在し、選挙結果を否定して銃を持ち連邦政府を襲う程度の民主主義水準だった。日々の永続的意識的努力なしには各種の差別や偏見がなくならないことを示している。EU諸国による移民受け入れ拒否も続行中だ。COVIT19ワクチンの世界配布問題もある。世界の民主主義は道半ばにも達していない。
 「アジア的共同体」意識を打破し、個人的尊厳を社会的に創造していく努力は日本でも強く求められる。

 「アジア的生産様式」ノート 福本勝清氏の論考要約

 「アジア的生産様式」は定義されていない。その存否でさえ議論がある。ここでは、福本氏が整理してくれた諸説の中から、自分の感覚に合うものを抜粋するしかない。社会科学全般にわたり基礎理論・研究を系統的に学びえず、マルクス主義にしがみついてきただけの一市民にできることはその程度だ。
 以下、「史」は『アジア的生産様式論争史』(2015年11月刊)、「水」は『マルクス主義と水の理論』(2016年7月刊)を指す。
 
 まず、マルクスからの引用。
「大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩してゆく段階としての、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる」(『経済学批判』序言(1859年)、岩波文庫1956年、福本『水の理論』P43から孫引き)
「こうして、所有は、本源的には―したがって、そのアジア的、スラヴ的、古代的、ゲルマン的形態にあっては―労働する(生産する、または自己を再生産する)主体が彼のものとしての彼の生産または再生産の諸条件にたいしてとる関係を意味する。」(『諸形態』(1858年頃執筆)、青木文庫1959年P49)
「アジア的国家において、収穫は政府の良し悪しに依存し、ヨーロッパでは、それは天候の良し悪しに依存する。」(「イギリスのインド支配」、『水の理論』P260から孫引き)
「気候と土地の条件、特にサハラからアラビア、ペルシャ、インド、タタールを通り、最高地のアジアの高原へ広がっている広大な砂漠地帯は、運河や水利施設による人工的な灌漑を東洋的農業の基盤とさせた。エジプトやインドにおけると同様に、メソポタミアペルシャ等においても、洪水は土壌を肥沃にするために利用されており、高水位の水を供給する灌漑用水路は利便を与えている。この水の経済的、共同的利用の最重要な必要性は、西洋においてはフランドルやイタリアにおいて、個人事業を自発的連合へと向かわせたのであるが、自発的連合を生み出させるには文明があまりにも低度で、国土の範囲があまりにも広すぎた東洋においては、政府の中央集権的権力の介入を必要とさせたのである。それ故に、公共事業を行うという機能、一経済的機能がすべてのアジア的政府の上に負わされたのである。」(マルクス、引用先不明、『評伝ウィットフォーゲル』P132~133)
 
 まず、最初の確認は「アジア的生産様式」が歴史的に存在しているという事実だ。
 東洋における封建制、東洋古代の奴隷制、総体的奴隷制、国家的奴隷制奴隷制の古代アジア的なコース、原始共同体的生産様式等々このような呼び変えが何度も試みられたのは、アジア的生産様式が指し示すものが「誰にとっても、疑いなく、確固として存在するからにほかならない。」「奴隷制にも封建制にも還元されることなく、また原始共同体社会にも解消されることのない、それ自身固有の社会構成(敵対的な社会構成)をもつ独自の生産様式としてのアジア的生産様式、それはもともとマジャールなどアジア派が唱えていたものであった。ウイットフォーゲルもまた同じ見解にたっていた。」(史P117)そして、「アジア的生産様式のもとにおける階級関係が、貢納制であること」は「多数の者が認めている」。(史P130~131)
 日本の論争で「アジア的生産様式の特徴とされる」のは、①大規模公共事業、②アジア的共同体の長期にわたる残存、③私的な土地所有の不在、④デスポティズム、⑤農工の強固な結合」で、共同体論は②③④⑤をカバーするものとして、アジア的生産様式論の中心にすえられ」た。①は、ウイットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』(1957年)の発表によって、灌漑・治水を基礎とした東洋的専制主義が20世紀社会主義全体主義をもたらしたとされ、反共理論への加担とみなされることを恐れ、第二次論争から灌漑・治水は論拠にされなくなった。(史P134)
 
 多系的発展説のうち、「アジア的な社会、すなわち非ヨーロッパ的な社会においては、原始社会の解体後に最初の階級社会としてアジア的生産様式が成立し、かつそれに基づく経済的社会構成は、近代に至るまで、すなわちヨーロッパ列強によるアジア諸地域の植民地化、反植民地化まで続く」というマジャール、ウイットフォーゲルによる独自の社会構成説(史P220)がイチ推しだ。

 「日本のアジア的生産様式論者、あるいは理解者のほとんどは、アジア的な原始共同体社会から奴隷制への転化は否定しても、その封建制への転化を認める傾向が強い。その理由の主要なものは、おそらく、アジア的社会が古代から近代まで……アジア的生産様式のもとにあったとするのは、アジア的社会にいっさいの発展的契機を認めないアジア的停滞論に陥ることになると考え、その危険性を回避」しようとしたのだろう。(史P341)
 ※「ある社会構成体内で生産力が十分に発達し、生産手段の所有関係と矛盾が生じる時に別の社会構成へと発展していく」というのがマルクス主義構成体論の基本だから、アジア的生産様式に基づく社会では生産力の発達が西欧に比べて緩慢だったとしても、不均等発展は世界史の事実であって、そのことを「停滞論」などと卑下することはない。地球上で社会が均等に発展していると考える方がどうかしている。絶対的精神が各所に発生し具現化ていくなどありえない。
 マルクス主義において、農村共同体あるいは農業共同体とは、一般的な村落のコミュニティを指して言っているのではない。それは、マルクス「ヴェ・イ・ザスーリチの手紙への回答・下書き」(一八七一年)において示された、原始社会から階級社会への移行期における共同体、原始共同体の最後の段階を指す。農村共同体における、太古より引きずって来た土地共有制と、宅地を中心として広がる私有地との、所有の二重性が、この段階の所有を特徴づけるとされる。」(史P209)
 福本の見解。「東洋的な専制国家のもとに存在するのは、アジア的所有であって、村落は、個々の専制国家およびそれを支える社会的経済的システムの在り方に応じて存在するのであって、共同体として存在するのではない。」(史P334)

 灌漑・治水は共同体事業であり、指揮者のもとでの共同労働となる。それは、個々の経営にとっての必要労働を超える剰余労働だが、共同体のためには必要労働でもある。「このような共同体のための必要労働は、共同体の首長が、共同体成員に対し強制力を発揮するにつれ、賦役に転化する。」(水P29~30)
 水利事業の規模が大きくなるにつれ、要求される技術レベルは高まり、専門の職人・技術者が必要となり、道具・食糧・木石材・人員など事前準備は大量となる。水利施設建設を計画した総括的統一体の長は、それらを用意しなければならない。「大規模公共事業は、官僚制の形成を促す」。(水P30~31)
 水源の確保や水の供給は、作物の種類、播種・収穫などの農作業日程、施設改修の労働力確保などとも関係し、農業全般に関わってくる。「アジア的社会においては、首長層は、農業への関与、あるいは共同体のための賦役労働を通じて、地域全体に対し、強い影響力を行使」できる。「結局は勧農権の問題となる」。(水P33~34)
 「アジア的社会において、個人の所有権の弱さが、王や国家の政治意志に対する抵抗を難しくしているという問題」は、極めて今日的な課題である。(水P37)
 「総括的統一体を、現在の人類学的用語であらわせば、おそらく首長制社会から未開国家もしくは初期国家への時期における政治組織に相当するだろう。それが統一体といわれるゆえんは、その一体性にあり、社会をまるごとひっくるめて支配している、あるいはその指導を引き受けているといえる。そして、その一体性は、専制国家に引き継がれる、あるいはその一体性が専制化への転換の契機を含んでいる」。(水P38)
 「水利を必要とする社会においては、共同体成員の所有権が確立したことはなかった」。「アジア的社会においては土地所有とは、つねに共同体に依存したものであった。あるいは共同体を代表する首長や共同体に君臨する王に依存したものであった。首長や王の意志から独立した所有、すなわち所有権は成立することが極めて困難であった。」(水P39)
 ※「土地の公的所有」という側面から見れば、東洋的専制主義も中国社会主義も同一と言える。日本でも、明治維新の土地登録までは、全国の土地所有権は天皇にあったのだろう。
 「総括的統一体から専制国家の道は、平坦ではない」し、「一本道でもない」。それぞれのプロセスで「一種の飛躍が必要」だ。飛躍のために、「新たなイデオロギー的補強が行われ、飛躍が正当化される」。「権力の一極集中に対応しているのは、他のすべての成員の無権利」であり、これもまた正当化される。「実質的な権利や権力の所有者たちもまた、一極に集中された権力の分与として、至上権に従属してのみようやく成立する権利や権力となる」。その権利・権力の程度は専制化の程度による。(水P42)
 玉城哲(1976年)は言う。「生産の不可欠な前提としての大地の所有は、不幸な分裂をとげている。土地そのものは、少なくとも現象的には私的な所有を確立している。しかし、水は公的所有として、国家の手中にある」。水の獲得・制御が、生産の客観的条件として絶対性を持っているとすれば、「真の意味での土地の私的所有は存在せず、国家的所有のもとに戯画化された私有形態が存在するにすぎない」といえる。(水P80~81)つまり、水の供給者への強依存となるアジア的社会では、「自立した小農民経営の形成」は不可能だ。(水P85)
 ゲルマン的共同体社会では、「法は神に属し、その前では、王も自由農民も等しい存在とされる」が、アジア的社会では、法は「王より恩恵として公民に与えられる」。(水P84)アジア的社会では、「総括的統一体の長(王)とは、勧農権の主宰であり、かつ、外部機構である水利施設の所有であった。」「つまり、より強い支配力を農民に及ぼすことが可能であった。」(水P86)
 古代日本では、「王は土と水の所有者」だった。「古代国家は、総勧農権を保持し、執行した。律令制における徭役の比重が大きかったことは、それを表している」。古代末期、在地首長層が国家の勧農権を簒奪する」。彼らは、「郡司」として「公として振舞っているがゆえに、良民をも賦役に徴用できた」。「日本の農業社会がまず、無数の小さな盆地や扇状地など小水系において成立した」ことが、その背景にある。在地首長層の支持のもとに成立した武家政権鎌倉幕府は、朝廷とともに総勧農権を分有するにいたる」。「日本の中世においても、さらには近世においても、中央、すなわち大きな公は継続して残った」。「中央もしくは大きな公は、小さな公に対して、依然として共同体のための賦役労働の徴発を命じたり、制限したりする権限を持っていた」「たとえば、利根川木曽川、淀川などの広域にわたる治水事業は、幕府の命による国益普請として行われるのが常であり、諸藩の枠を越えて多数の農民が動員され、堤防の築造や、河川の浚渫にあたっている。」(水P111~112)
 「アジア的生産様式は、古代における生産様式であるとともに、古代以降、中世、近世を貫いて、その特殊性を日本社会に刻印し続けた、とするのは、講座派の総帥野呂栄太郎の「国家=最高地主説」以来の論法」だった。(水P290)
 灌漑・治水への共同労働は、「自発的必要労働」→「共同体の長からの要請」→「強制=徭役・賦役」→「共同体成員の義務」へと転化する。(水P144~145)
 〇インド。分節国家における「王、寺院、在地首長層」の関係。「王は寺院によって、聖化される。代わりに王は寺院に土地を寄進する。在地首長層はその寺院を支える経済活動をする。具体的には、寺院に金銭を寄進し、その資金を使って寺院は王より寄進された土地の灌漑を行う。」「寺院は祭礼のおり、王の威徳を称えると同時に、在地首長層を祝福する。王は在地首長層を臣下とし、その在地支配を認める。臣下は貢納および軍役を果たす。」(水P148)「インドにおける祭儀権の強さ。勧農権が自立」できず、「僧院や寺院による祝福を通さなければ、農民を領導できない独特の政治文化が存在した」。(水P176)「水利をめぐるトライアングルの衰退は、水利施設の維持を」困難にする。決定的だったのは、「インドの植民地化」だった。「植民地期はこの水利における連関を断ち切る結果となり」、灌漑施設の荒廃化が進んだ。(水P149~150)
 「アジア的社会における資本家的な企業が、見かけの近代的な相貌とは裏腹に、過酷な専制的性質を帯びるのは、支配が二重になっているから」だ。「一つは、資本家としてすべてを用意した側が、雇用された側のギリギリの生存に必要な資料以外にはどんな支払いをする必要もないこと」、「もう一つは、雇用といいつつ、雇用されているのは村落農民であり、彼らは伝統的な共同体のための賦役労働を、たとえ賃金の支給という形にせよ、強いられているから」だ。(水P168)

 ※つまり、最低賃金を支える農村で、これは戦前の昭和恐慌に至っても日本に存続した。
 〇中国。「夫役や建設資材の供出は、決壊した地域にだけ求められたのではなかった。それよりはるかに広大な地域に対し供出が命じられた」。「村落の農民たちはやむをえず、負担を回避し、負担を互いに押し付けあう間柄に」陥った。中国の村落が「けっして共同体ではありえない」要因だ。つまり、「専制国家のもとにおいては、村落は共同体ではありえない」。「差異や序列があるがゆえに、互いに結びつき合う村民の関係」差序格局だ。これは、農村共同体解体後に成立した。(水P193~194)これは広大な地域にある孤立した集落について成立する論理ではないか?
 「支配者(王や皇帝)の農業への関心そのものが、アジア的な響きを持つ」。「西欧の諸王は、農作物の豊凶に責任を負うことはない。それはまず気候のせいであり、最終的には神に帰す事柄」だからだ。(水P197)
 「ベネチアにおいて農地のために水を要求したのは大土地所有者=土地貴族であった。彼らは、自らの収益の拡大のため、経営のための投資として水に投資した。」(水P212)
 「海面より低いオランダの干拓地においては、治水事業こそ生命線」だった。「人々は堤防管理の費用を税金として支払った。堤防と水の前では人びとは平等で民主的であり、ウォーターボードは世界でもっとも初期の近代的な民主主義的自治組織となった。」(水P213)
 「一般に水稲農業は、たとえ天水田であっても、集水域は必ず自分の田よりも大きく、水は他人の土地を経て自分の田に注ぐことになる。ゆえに、個々の農戸の自己経営といっても、他人との協力を欠かすことができない。そこがヨーロッパに典型的な小農民経営とは異なる」。「協働連関の可視性」(水P218
 「盆地や小平野を基盤にした政治権力は、盆地内の地域ごとの政治勢力に依拠して初めて政権たりうる」。「首都の盆地は、他の地域に対し相対的優位にあっても、絶対的優位を確立」できない。(水P220)
 「結局、専制国家生成と深く結びついた大規模水利事業というのは、古代文明や古代専制国家を発生・成立させたような大河地域にこそふさわしい。」(P221)
 王の勧農権=食糧保障(臣民を食わせる)と、臣民の賦役労働は釣り合っている。(水P222)
 〇ロシア。「では、水の契機をもたないロシア社会のアジア的性格は如何に形成されたのであろうか」。「モスクワはモンゴル式の奴隷制の毒悪と悲惨な学校のなかから成長し、その教育を受けてきた。彼らはただ、その強さを、奴隷の技術の達人になることで、勝ち取った」(マルクス『十八世紀の秘密外交史』)とするマルクスの観点(「タタールの軛」)をメロッティはそのまま引き継いだ。「モンゴルのハーンの専制統治のもとでは、無条件の服従しか存在せず、どんな形の権力の行使も、ハーンの許しのもと、ハーンを代表してのみ、そうすることが可能であった。」「その二百年にも及ぶ屈従を通して、統治方法を学んだロシアの君主たちのなかで、イワン三世はロシア国家の真の意味での組織者であった。」「イワン三世は、モンゴル式に、臣民に対し厳格な管理体制と義務兵役制を敷き、全ロシアに対し領土要求を行い、長子継承制度を樹立し、自ら軍隊を統帥し、教会と国家を統一した。彼はさらに中央集権的な統治と軍事行動の必要から、新たな等級制度を設立し、文武官僚を統制し、その等級に応じて土地を賜与した。」「イワン三世は、政治、経済、軍事、宗教の大権を一身に集めた真の専制君主」だった。「イワン四世のもと、あるいはピョートル大帝のもとで作り上げられたロシア帝国の諸制度、各階級、都市農村、工業と農業も、みな、西欧のものとは完全に異なったもの」だった。「中産階級は存在せず、都市も工業も新しい官僚階級も、専制に依存したもの」だった。「負担はすべて農民に押しつけられた(農奴制)。「みな農奴制に寄生しており、農民からの搾取は、ひどく残酷に行われた。」(水P286~287)


 「論争が英語圏に移るに至って、アジア的生産様式論争は各国共産党との関係をほぼ失い、はるかに自由なものとなった」。それは、革命党の戦略ではなく、第三世界へのマルクス主義的探求となった。(水P338)
 ティヘルマン:「原始共同体社会崩壊と資本主義成立の間の歴史において、西欧世界と非西欧世界を区別する」。西欧世界=北西ヨーロッパ。「非西欧世界は二つの地域に分かれる」。「土地私有に基づき私有財産をもつ階級の発展の余地がある社会(ローマ帝国ビザンツ帝国)と、特権階層が国家に依存しつつ権力の集権化を伴う型の社会(中国、東南アジアなどアジア的生産様式に支配されている地域」だ。「日本については、アジア的諸関係の不在および非アジア的国家によって特徴づけている。その理由としてヨーロッパ大陸に対する英国のような地理的な孤立を挙げている」。対して、アジア的な中国は、「農業文明として、前資本主義社会において達成されたもっとも高いレベルに到達した」とした。中国・インド・東南アジアというアジア的社会内部の地域的区分とその種差について積極的に提示した。(水P342~347)
 クルミ・スギタ:「古代日本の歴史を、アジア的生産様式論の立場から読み解こうとし、生産諸条件(大地)先占の前提としてのローカルな共同体と、共同体所有の枠組を現す上位の共同体(総括的統一体)の相互関係のなかで国家の発展を構想する」。内発的発展論=停滞論克服を意図している。(水P349~353)以上

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学術会議承認問題への素人の疑問

 菅内閣の初仕事である学術会議交代会員の承認問題では、リストから外された6人に焦点が当てられているが、承認された99人は何を感じているのだろうか? 菅内閣に認められて「良かった」のか「まずかった」のか? 99人からは反応が聞こえてこないようだが、菅内閣に選別されたこと自体に反発しないのだろうか? また、すでに任期満了で交代したとはいえ、前執行部は学術会議会員として在籍し続けるのだろうか? 学術会議本来のあり方を変えてしまった選任方法に対して、結局、現状を容認したままにするのだろうか? 一括して申請した105人が一括して承認されなかったのだから、白紙に戻して再申請するか、半数を空白のまま学術会議として存続するのが筋のような気もするが。
 「憲法」「学問の自由」を掲げて異議を申し立てるのはいいが、相手は権力を握る確信犯だ。論理だけでは詰め切れない。ここは、科学者・研究者がどう効果的な闘い方ができるかだろう。「押し付け憲法」だからこそ、その先進性を守り抜くためには、ヨーロッパで先人たちが闘ってきた経験を日本人自らが再体験することが重要なのだろう。科学者・研究者は生活を賭けて闘うことができるのだろうか? @meetooや香港やタイのように。

「個人の尊厳・尊重」が日本の革新運動の重要な潮流に

 今回は読後感から。書名に惹かれて入手した、『戦後左翼はなぜ解体したのか 変革主体再生への展望を探る』寺岡衛著・江藤正修編 同時代社 2006年1月刊。
 著者は、1935年生まれ、1954年に立命館大入学、同時に日本共産党に入党し山村工作隊に参加。その後、全学連運動に加わる中で、1956年のスターリン批判に直面し、1958年に第四インターナショナル日本支部(準)関西ビューローのメンバーになる。その後も、関東・関西で活動を続け、中央委員・政治局員の任を担っている。本書は、「第四インターナショナル日本支部を切り口とした労働運動を含む戦後左翼全般の総括」だが、いたずらな他組織批判や自己合理化はまったく感じられず、独特の問題意識の持ち方に鋭さと新鮮さを感じた。以下、内容紹介。

「戦後革新の土台であった日本的な抵抗基盤は」「前近代的な共同体、職人的な秩序が前提となっていた」。「丁稚奉公に始まる年功序列や職人共同体は、自らの労働と生産・経営を一対のものとして年功的な職能的技能力を保持してきた」。「明治政府が成立すると」「上からの資本蓄積が国家による産業育成として推進され、政商型の政治と経済が癒着した構造からは財閥が生まれる」。この二つの要素は、「第二次世界戦争に向けた軍需生産を中心とする総力戦体制が整えられていく過程で」合体していく。「上から形成された大財閥が巨大工場を軸に軍需生産の中心として機能しつつ、伝統的構造として存在してきた工業や商業、特に町工場で蓄積されてきた技術が大工場の中に徴用工として総動員されていった。徴兵を免除された徴用工は、軍需生産を支え発展させるためにその熟練した労働力を提供した」のだ。(P36~37)
 この戦争遂行機能は、「戦後占領期にとられた石炭と鉄鋼の生産に重点を置いた経済復興政策、すなわち傾斜生産方式の過程で新しく秩序化されていった。年功序列、終身雇用、下請け・孫請けの系列化、グループ企業とメインバンク制、護送船団方式、談合など日本株式会社といわれるシステムは、歴史的にはそのように作られてきた」。「朝鮮戦争を媒介にして作られた戦後革新勢力(社会党・総評ブロック)の物質的基盤もまた、こうした「新しい秩序化」の一環であった。下から蓄積された技術的能力に基づく熟練労働力は、朝鮮戦争特需による増産のために資本が必要とする労働力となり、待遇改善などの資本との交渉において力を発揮した」。(P37~38)
「職場における伝統的な職人的能力を基盤とする労働組合が多数派を形成し、これが一九六〇年代まで総評左派の構造を作り出していく」。「六〇年以降はJC派が台頭し、民同左派は長期的な衰退の過程に入る」。
   ※JC派=IMF・JC(国際金属労連日本協議会)。
   ※民同=「民主化同盟」の略。
 戦後の日本資本主義再建過程では、「一つには天皇制を維持することで社会秩序の精神的支柱を確保し」、「もう一つは行政的、組織的な意味で戦前官僚システムの連続性を維持して政治的経済的秩序を確保する」ことで、「戦前からの連続性を保持」した。アメリカの占領政策が「民主化から反共へ」と進行すると、戦前からの党人派政治家では国家機能が発揮しきれないため、行政官僚が一斉に国会に進出し政治官僚となり(吉田学校)、政官の分業が始まる。また、旧財閥の解体により、安定株主が企業機関へと転化することで、サラリーマン経営者が生まれるが、これは明らかに資本家ではなく、「企業の私的官僚」だ。ここに、行政・政治・企業間の三位一体エリート官僚グループが形成され、それは、東大法学部の上位成績卒業者で占められる学閥でもあった。(P45~47)朝鮮特需を経て、五五年体制を成立させることになる。
 五五年体制下で、産業構造の転換が行政指導という名の下で三位一体官僚によって実施されていく。技術革新による労働生産性の上昇が右肩上がりの賃金上昇を可能にし、可処分所得が増加した。大衆的な豊かさの創造は、生産性向上・利益の分配めざす「労使一体化」を構造化した。職員・工員という区別がなくなり、誰もが能力に応じて出世できる仕組みとなり、企業に対する忠誠心に基づく企業内共同体が成立する。その反面、旧来の職人共同体が持っていた企業からの独立性は全面的に解体された。(P49~51)
「旧来的共同体を基盤とする民同労働運動は、技能を若年労働者に教え込む親方でもある熟練工が職場の共同体を代表して企業と交渉し、職場の利害を代弁して資本と闘い、取引をする存在であった。ところが、JC派が成立して以降は、企業のエリートでもある労働組合の幹部はむしろ企業の代表としてその意向を代弁し、それが職場に下達される構造になった」。(P51)
 日本の場合、高度成長の中で「春闘」も一定の役割を果たしたが、それはJC派の拠点である鉄鋼・造船・電機で賃上げ交渉を先行し、私鉄と公労協がストを構えてそれを追うことで、賃上げ基準を「相場」として獲得し、未組織労働者にも波及させるという構造だった。JC派と官公労(民同左派)による共同行動だったと言える。しかし、この構造は、70年代以降のニクソンショックオイルショックで破綻する。JC派は「賃上げ自粛・減量経営容認」で企業防衛策に乗った。官公労は、スト権獲得を軸としたヨーロッパ型労働運動への前進をめざしたが、官公労運動自体の弱点=熟練労働者のヘゲモニーによる現場協議制による「黙契」の獲得=慣習・慣行がヤミ・カラ手当攻撃で突かれ、挫折する。(P54~56)
「戦後日本はなお前近代的で自己完結的な共同体国家であり、労働組合前近代的共同体を基礎としていた」。「象徴天皇制や政官財の三角陣地の機能不全、民同労働運動と社会党の崩壊などに示される状況は、戦後日本が継承した前近代的要素の崩壊」だ。(P78)
 1968~70年に象徴される市民・学生運動を「市民革命の第二段階として評価」しよう。それは、「社会的主体としての大衆的自己決定権や直接的民主主義に基づく自立、自治を求める対抗社会として、政治国家や市場経済を逆にコントロールする主体へと発展する可能性を強めている」。「我々がめざす社会主義革命は、今日始まっている第二の市民革命(市民社会)の発展過程と重なって準備されているものとして評価する必要が」ある。「その前提となるのが、第一期市民社会で長期にわたって蓄積された〝自立した個人"の存在」なのだ。「日本の場合は、個人としての自立が脆弱」だ。「日本での闘いは、前期市民社会と後期市民社会を同時に実現しなければならない」。しかし、「個人的自立さえ脆弱な主体を基礎とした上で、自立した潮流をどのように作り」出せるのかという「戸惑いが、現在の運動の中に存在する」。(P79~80)
構造改革派には天皇制をボナパルティズム論(マルクスの『ルイ・ボナパルトとプリュメール一八日』参照)として認識し、戦後史をとらえる観点が欠けていた」。「明治維新を契機として成立した近代国家や富国強兵は、大衆を王政復古の意識で動員している。歴史的にはより古い天皇制の伝統で国家統合がなされ、それがエネルギーとなって富国強兵や近代産業の基盤を形作っていった」。「このように日本における近代化は、自動的に近代的な国民によって支えられているという機械的な関係ではない。ある構造の下での近代的国家や近代的工業化を、反動的意識で支えた国家が日本であり、それは総動員体制にまで貫徹されていた。第二次世界大戦における軍事産業で成立した総動員体制は、天皇軍国主義に基づく忠誠心が大衆意識の根幹を支えていたのである」。「このように物質的、経済的近代化、あるいは国家的近代化は、同時に反動的意識の動員によって統合され、それが活力となって展開される。これが、いわば日本的天皇ボナパルティズムの構造である」。(P177~178)
「後期資本主義の矛盾の新しいあり方に対応した社会的ヘゲモニーとして、労働運動が機能しうるのか否かの問題である。それは対抗社会に向けたヘゲモニーとして、労働者の闘いを再形成することであり、生活者としての自立と生産者としての自立した闘いとの結合である」。(P226


 労働組合運動・マルクス主義諸政党・諸派の動向総括もあるが省略する。内容的には興味深いが、本稿の問題意識とは異なるからだ。
 
 ●幾つかの感想
1.「日本的天皇ボナパルティズム」とは、私が辿り着いた「総体的奴隷制」にほかならない。だからといって、第四インターへの賛否を云々するのではない。「社会主義への日本の道」を模索する者の眼には、「現代日本に封建遺制が根強く残っている」という認識で一致しうる、と感じるのだ。
2.1955年以降の労働運動の推移は、ホブズボームの分析とも一致する。日本の場合には、朝鮮戦争が推進力になっていそうだ。
3.今後の政治革新運動の担い手を「自立した個人」に求めているのも共感できる。というよりも、「階級としての労働者」は分散したため、資本主義権力に民主主義的に対抗するには、「自立した個人の潮流」に求めざるを得ないのだ。実際、世界各国ですでにスマホによる呼び掛けに呼応してのデモは権力への対抗手段となって現れている。ただし、それらの結集の軸が報道されることは少ない。現代における「抵抗組織のあり方=ヘゲモニー勢力」は別途考える必要がある。
4.「自立した個人」というキーワードで、私の思考は広がった。戦前の「赤紙」召集、戦没者(遺骨・遺品)の戦場放棄、市民への戦災補償、従軍慰安婦対応、朝鮮半島・大陸出身者の国籍変更・責任放棄、被爆・公害・医療過誤患者への悉皆調査拒否、不平等参政権、選挙運動への制約、三権不分立、LGBT、いじめ、忖度など、すべてが「個人の尊厳・尊重」に反することばかりだ。まずは、「個人の尊厳」の確立こそが、現代・近未来の焦点だろう。そのためには、公的審議会の公開、SNSなどでの匿名禁止、事件・災害被害者の個人名公開が必須になる。プライバシーとは、「個人の尊厳」を確立するためにある。姓名の公開は「個人」の生きた証であり、生きている印でもある。
5.4の補足。従軍慰安婦問題の自分の論理的捉え方に不十分さを感じていたが、「個人の尊厳・尊重」を軸に据えたとき、すんなりと胸に落ちた。「国と国との戦後補償・外交交渉」と「国と個人」との関係はまったく別の概念であり、帝国日本が、「天皇の赤子」として赤紙一枚で招集した兵卒をアジア各国に送りこんで死亡させ、遺骨・遺品はおろか死亡場所も死因も明らかにしないまま、現在に至っているのと同じ思想が生き残っているのだ。現在の日本政府の対応や国民の諸事件への反応も戦前とそう変わっていない。COVIT‐19に関しても、感染者を明らかにしないことの方に比重がかかっている。「世間からの非難」を避けるために個人は隠されるのだ。記憶に定かではないが、米の地方紙では、COVIT-19死亡者名簿を報道したそうだ。そこに、個人の生きた跡を残そうとする意志を見る。それは、相模原の障碍者殺傷事件でも感じたことだった。裁判に際して、被害者の個人名を明らかにした保護者がいたが、そのことで被害者の具体的な生きた姿が浮かんだ。
 「個人の尊厳・尊重」はある意味で「世間」からの厳しい視線を感じさせることになるだろうが、それを経験し、「世間」の側が克服していくことが「社会を変える」ということになるのだ。

ユーロコミュニズム再考   「資本主義でも社会主義でもない過渡期の社会構成体を認める」民主主義永続革命論

「ステイ・ホーム」を強要されて反発したかったが、ジムは閉鎖で自宅周辺を歩くか走るしかなく、また、都県越境「自粛」を打破する元気もなく、籠って本棚に残っていた書籍を手にした。ほぼ40年後の再読だったが、新たな発見があった。
 『「ユーロコミュニズム」と国家』 サンティアゴ・カリリョ著・高橋勝之/深澤安博訳 合同叢書 1979年1月刊。
 カリリョは、スペイン共和国防衛戦争(1936年7月~1939年3月)に従軍し、共和国崩壊後、欧米・中米・南米などを渡り歩き、世界大戦終結後、フランスでスペイン共産党再建活動に携わっていた。1960年からスペイン共産党書記長。フランシスコ・フランコ総統は1975年に死亡し、スペインは王制に復帰した。原書は、1976年2月にスペインに戻り、地下生活で12月にかけて執筆したもの。翌1977年4月に、スペイン共産党の合法化とともに出版され、日本語への翻訳・刊行は素早かった。刊行直後に入手し読んだという私のメモがあった。
 1991年のソ連・東ヨーロッパ体制の崩壊からすでに30年経っている。本書はその10年程前に執筆されているが、「ユーロコミュニズム」については現在でも通用する課題を提起している。本書の主題は「国家権力」だ。
「資本主義の国家機構の民主主義化の可能性について、その国家機構を強力によって根本的に破壊する必要もなく、それを社会主義社会建設のための有効な手段に変革するという可能性について確固とした構想を練りあげないかぎりは、我われは戦術主義であると批難されるか、あるいは社会民主主義と同一視されることになるであろう。」(P14)
 ユーロコミュニズムの課題は、「民主主義は資本主義と同体ではない。ということだけでなく、民主主義の擁護と発展は資本主義の社会体制を克服することを要求する。今日の歴史的条件においては、資本主義は民主主義を縮小させ、究極的には、破壊する傾向にある。それゆえに、民主主義は社会主義体制によって新たな次元に進む必要がある」と示すことだ。「社会主義革命はもはや、プロレタリアートにだけ必要なのではなく、人口の計り知れないほど多数の者にとっても必要」だ。(P50~51)「社会の多数者の名において語ることに習熟しなければならない。」(P52)
プロレタリアートは引き続き主要な革命的階級であるとしても、もはや唯一のというわけではない」。「他の諸階層、他の社会的諸範疇も、客観的には社会主義を展望する位置を占めつつあり、新たな状況をつくりつつある」。これは実践的確認だ。(P57)
 社会主義への民主主義的な道は「長い期間をつうじる公私の所有形態の共存を予想している」。「まだ社会主義ではないが、もう独占資本による国家支配でもない」局面では、既存の生産諸力と社会的業務を、私的創意が演じる役割を認めながら、「最大限に保持」することが課題となる(P101)。
 
「いつの日かにあるだろうXデーを想定し秘かに準備する」という企ては時代遅れであって、「Xデーはありえない」ことを明確にしているのがユーロコミュニズムだった。「Xデー」がなければ、「資本主義でも社会主義でもない過渡期」の設定は論理的に不可欠であり、実践的には不可避だ。
 資本主義の成長とともに拡大してきた民主主義思想には、「社会主義」概念が本来含まれている。政治的・経済的・文化的民主主義の拡大・深化・発展が、やがて、「資本主義でも社会主義でもない過渡期」を経て、次期の経済社会構成体を作り出す。
 この論は、丸山真男を師とした加藤哲郎が1990年に既に提唱している「永続民主主義革命論」と同類だと思われるが、彼の論理が市民社会論という概念分析から抽出されているのに対して、カリリョら西欧共産党幹部の「Xデーがありえない」とする指摘は具体的で、新鮮に受け止めることができた。40年も経ってその意味するところがやっと理解できるようになった。1970~80年に日本で議論された「国家論」でも他の学者・研究者が紹介していたかもしれない。

PCR検査の集団実施こそが最良の対策だが

 スマホアプリ紹介記事(「感染者接触アプリ 週内にも提供開始」朝日新聞20年6月18日付3面)の末尾近くに以下の文がある。「通知で濃厚接触の可能性が高いと分かっても、検査を受けるかどうかは本人次第。」
 記者3人の署名記事だが、ここには肝心なことが書かれていない。条件が緩和されたとはいえ、日本では、PCR検査は医師の指示がないと、本人が希望するだけでは受けられないという点だ。「本人次第」ではないのだ。
 「緊急事態宣言」中は、「医療崩壊」の影に過度に怯えた「重症化政策」で、アジアでも高い死亡率になっていることを忘れているのではないか。PCR検査に結び付く「通知」となるアプリでなければ、恐怖心をいたずらに煽り、「国民総自粛」で個人防衛に身を固くするばかりとなろう。精神的に極めて悪い効果しかない。日本のCOVIT-19対策の問題点を理解しているのだろうか。
 新宿「夜の街」で実行しているように、PCR検査の集団実施で無症者の早期発見が最速最良の対策なのは、医療・衛生関係者は知っているだろうに、誰もそれを言い出さないのは不思議だ。