人畜無害の散流雑記

別ブログ閉鎖で引っ越して来ました。自分のための脳トレブログ。

あなたも「家族主義」か?

 くらし報道部・浜田陽太郎署名の「記者解説 子育て支援 誰が負担」(朝日新聞23年5月1日付)に以下の文章がある。
 記者本人には「頼れる子どもはいない」。一方、記者と同歳の知り合いは「4世代9人が一つ屋根の下で暮らす。これなら家族間の支え合いが期待できそうだが、もはや希少な存在だ」。
 これを読んだ瞬間に頭に浮かんだのが、大河内一男氏の『出稼ぎ型』労働観に基づいて分析された次のような一節だった。(筆者要約)
 
 労働への入口からして縁故による低賃金(「家計補充的賃金」)・低労働条件という負荷を掛けられ、貧困線上に浮上しかかると、縁故のぶら下がりが重しとなる。「子供が職につき、楽になるべき」はずが、親が低賃金の「補充を請け負う」、逆に、低賃金であっても父や母を「扶養してゆかねばならぬ」。全体として、収奪と搾取の二重三重の激しさ。

 浜田氏が『出稼ぎ型』労働概念を知っているかどうかをここでは問題にしない。問題は、彼の立論が家族主義的であり、個人主義ではないことだ。朝日新聞という看板を背負った記者が、個人を基礎とした社会を想定しきれていないことに驚いた。憲法云々を言い出すまでもないと思うが、現代社会の基礎は「個人の尊厳」だ。もちろん、欧米を含め現実との乖離は大きい。だが、この基礎に立脚しないと、立論の方向はまるで異なってしまう。生活保護の「家族問い合わせ」がその典型だ。先日の朝日紙上で批判的に論じていたばかりだが。
 もう一つ。「日本では、子どもを含めた家族を養う給料や手当を会社が出すのが「あるべき姿」という規範が根強い。」「安定雇用者層は、企業福祉より見劣りすると感じる「政府による福祉」に、無意識の敵対心を抱いているようだ。」という記述だ。
 前段は、「社畜」労働者の一表現だろうが、それが後者の「政府福祉への敵対心」に転化しているというのが新しい知見だ。データが示されていないので納得はできない。長く政権を支配してきた自民党を軸とする勢力が、個人主義的福祉政策を蔑ろにして来たことが反映していると見るのが自然だろう。
 ほかにもツッコミどころはあるのだが、考えているうちに鮮度が古くなるので、とりあえずアップする。