人畜無害の散流雑記

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「労働」の日本的形態考・その3 「階級構成」

 繰り返しになるが、私の問題意識は、日本の労働者階級が「階級」として成立したのはいつか? だ。明治開発独裁政府が資本主義化を推進していくが、同時に生みだされるはずの労働者「階級」は、「一家をあげて農村から流失し、工場地帯に結集し賃金労働者となり、それが再生産され蓄積されて社会層となっていく」というヨーロッパ諸国のような過程とは異なるにしても、日本でも時間を掛けて厚みを持った社会層を作ってきたはずだ。これまで見てきた書籍・資料では、大河内一男氏の指摘した「出稼ぎ型労働」の影響は、第二次世界大戦での日本の敗戦後まで強く残っており、「階級」として自立していたとは言えない。
 その回答を、橋本健二著『新・日本の階級社会』(2018年1月刊)に見つけた。SSM(「社会階層と社会移動」)調査データから算出された「世襲率の変化」がそれだ。「旧中間階級出身の労働者階級比率は、八五年まで急速に上昇した。その主要な原因は、高度成長期に農民出身者が大量に労働者階級へ流れ込んだことである。ところが九五年には労働者階級比率が低下し、以後は横ばいといっていい。したがって労働者階級が固定化傾向を示すようになった主な原因は、労働者階級出身者が父親と同じ労働者階級に所属する傾向を強めたこと、そして旧中間階級出身者が労働者階級になりにくくなったことの二つだといってよさそうだ。」(P137)また、「旧中間階級への移動も減っている。」(P138)
 次の記述もある。国勢調査から算出した階級構成の変化だ。
「戦後間もない一九五〇年には、旧中間階級が日本の有業者の六割近く(五八・五%)を占めていた。労働者階級はその半分にも満たない二八・一%で、新中間階級も十一・二%にすぎず、当時の日本が、まだまだ発達した資本主義社会といえる段階になかったことがわかる。しかも四五・二%までが農民層で、実数はなんと一六〇三・六万人である。この時期の日本は、ひとつの巨大な農業国であったのである。/しかしその後、経済復興が進み、高度成長が始まるとともに、農民層は激減していく。そのスピードはすさまじく、一九六五年には一一〇九・七万人にまで減少した。実に年平均で三二・九万人もの農民層が流出したことになる。その後も農民層の減少は続く。二〇一〇年の農民層は総数八一・三万人で、一九五〇年の九分の一程度にすぎず、全体に占める比率はわずか三・二%となっている。」「自営業者を含めた旧中間階級と労働者階級の数が逆転したのは、おそらく六〇年代初めである。六五年には、旧中間階級の比率が三五・三%にまで減少し、四四・七%を占める労働者階級に一〇ポイント近くの差をつけられている。新中間階級も、労働者階級とほぼ同じような増加率を示し、九〇年には旧中間階級を上回った。こうして日本の階級構造は、発達した資本主義社会としての特徴を示すようになった。」(P70~71)
 1955年から始まる高度経済成長期、70年代中盤からのオイル・ショック期、80年代中盤からのバブル期を経て、農民層分解が終了し、労働者階級が蓄積された社会層として認められたのが90年後半になる。40年程掛かったことになる。それまでは農村とヘソの緒でつながっていたのだ。
 それでは、現代日本の階級構成はどうなっているのか? 橋本氏の示す図は次の通りで、基本は4階級構成だが、実質は4+1の5階級だという。(P62、P78)
 
 資本家階級(経営者・役員)            |
    |                     |
 新中間階級(男性の管理職・専門職・上級事務職)  | 旧中間階級(自営業者)
    |                     |
 労働者階級(被雇用者)              |
   【正規/非正規=アンダークラスの2層化】
 
 旧中間階級とは、資本主義以前から存在する自営の農民・業者で、自分で少量の生産手段を所有し、自分と家族が働いて生産している。
 新中間階級とは、資本主義の発展に伴って現れた、資本家階級が元来行っていた、労働者の管理・監督や生産設備の管理などの業務を任せられた、資本家階級と労働者階級の中間に位置する労働者を指す。
 2012年の構成比率は、資本家階級4.1%、新中間階級20.6%、労働者階級62.5%(正規35.1%、パート主婦12.6%、非正規14.9%)、旧中間階級12.9%となる。(「平成24年就業構造基本調査より算出。ここには退職者を含む無職者は入っていないようだ。)
 労働者階級を男女別にみると、男性では55.4%と半数強だが、女性では71.9%と大半を占める。女性の内訳は、正規27.6%、パート主婦29.3%、非正規15.0%でパート主婦の比重は大きい。また、労働者階級の内訳比は、正規56:パート主婦+非正規44となる。(P67~68)
 橋本氏が注目しているのが、「非正規労働者」の固定化であり、その結果としての格差の増大=格差社会の出現だ。2015年SSM調査によれば、「アンダークラス(パート主婦を除く非正規労働者)は九二九万人で、旧中間階級の八〇六万人を上回り…、いまや資本主義社会の主要な要素のひとつになったといっていい。…五つの(階級の)なかで唯一、激増を続けている階級である。女性比率は四三・三%で、女性比率がもっとも高い階級でもある。」(P89)「平均個人年収は一八六万円と極端に低い。」「貧困率は極端に高く、三八・七%に上っており、とくに女性では四八・五%にも達し、さらに夫と離死別した女性となると六三・二%である。」(P90~91)(貧困の基準は、回答所得中央値の半分を基本としつつ、調査時の経済状況を鑑みて調整している。)
 1986年に「13の業務に限定」されて労働者派遣法が制定されてから、1999年改正で対象業務が原則自由化され、2004年には製造現場への派遣が解禁となり、30年を経て日本でのアンダークラスが固定化された。「家計補助型」の出稼ぎ労働は、「働き方の多様性」を口実に景気循環調整型派遣制度として現代資本主義に組み込まれた。
「これまでの労働者階級は、資本主義社会の底辺に位置する階級だったとはいえ、正社員としての安定した地位をもち、製造業を中心に比較的安定した雇用を確保してきた。これに対して激増している非正規労働者は、雇用が不安定で、賃金も正規労働者には遠く及ばない。」「労働者階級が資本主義社会の最下層の階級だったとするならば、非正規労働者は「階級以下」の存在、つまり「アンダークラス」と呼ぶのがふさわしいだろう。」「アンダークラスは、もともと英米圏での研究から生まれた用語で、主に大都市部で生活する少数民族貧困層を指すことが多かった。しかし先進国の多くで経済格差が拡大するなか、今日ではより一般的な存在となった。古くはラルフ・ダーレンドルフが、福祉国家の衰退によって市民権を奪われたり、制限されたりしている人々をアンダークラスと呼んでいた。また、スコット・ラッシュは、工業から情報産業への転換が進むなかで、労働者階級から構造的に下降移動させられた人々が新たな階級、すなわちアンダークラスを形成していると論じている。またジョン・ケネス・ガルブレイスは、今日の先進社会では「機能上不可欠なアンダークラス」が形成され、誰からも嫌がられる辛い仕事を低賃金で引き受け、都市の快適な生活を支えていると指摘している。」(P76~77)
 本書では、階級毎の特徴が述べられているが、本論考では触れない。ここでは、「格差縮小への合意を作るためにはどうすればよいか」との橋本氏の自問自答を紹介しておく。「資本主義経済のメインストリームに位置する三つの階級は、新中間階級は強固に、資本家階級と正規労働者はやや控えめにという違いはあっても、所得再分配に否定的な傾向が強い。これに対してその他の階級・グループ-パート主婦、専業主婦、旧中間階級、無職の人々は、アンダークラスの人々と同じ、あるいは大差ないほどに、所得分配を支持する傾向がある。また格差拡大の現実を認識することの効果は大きい。したがって、格差拡大の客観的な事実とその弊害に対する理解を広めていけば、所得再分配への支持を拡げていくことができるはずである。また自己責任論は、所得再分配への合意形成の妨げになっている。したがってこれに対して適切な反論を加えていくことも必要である。」(P256~257)「もし格差社会の克服を一致点とする政党や政治勢力の連合体が形成されるなら、その支持基盤となりうる階級・グループはすでに存在しているといっていいだろう。アンダークラス、パート主婦、専業主婦、旧中間階級、そして新中間階級と労働者階級のなかのリベラル派である。」(P301~302)
 
 日本の労働者階級の成立はヨーロッパ諸国とは大きく異なる。したがって、労働者運動の在り方もまた独自の道を探ることになる。国際的な経験の一般化・理論化は尊重しつつ、日本の歴史と現状に合致した方向性を打ち出す必要がある。
 「生活保護」申請にあたっての親族への問い合わせは、「出稼ぎ型労働」での家族回帰に原点があると考えられるし、家族が機能しなければ「自己責任」に転嫁していく。低米価を筆頭に農業だけでは生活できない小農家政策と農産物価格設定、家計補助に端を発した女性を典型とする低賃金政策、縁故採用企業別組合など労働政策にとどまらず、暮らしの多くの面に「出稼ぎ型」が浸透している。これらは「日本国憲法」で与えられた民主主義の枠組みを国民自身が生活の中に徹底していくことで克服することができるが、そのためには多くの艱難辛苦を経験するだろう覚悟が求められる。
 「非階級社会実現」は遠大な夢だが、橋本氏のいう「格差克服連合体」の実現は現実的可能性がある。そのための要素の一つとして、「前衛」を自称してきた政治勢力民主化が求められる。2021年9月の総選挙で野党統一候補の擁立に成功しながら、想像以上に国民的反発が強かったことに幾らかの反省は示しているようだが、「結党」100年目の節目に歴史的に総括し、新しい方向性を示すことが必要だ。最低限の線として、1959年7月の第6回中央委員会総会での決定=「同じく進歩と平和を愛しながらマルクス主義とは異なる立場にたつ人々とのあいだに、真剣な批判と刺激を与えあう場所でありたいと思う」という月刊誌『現代の理論』「創刊にあたって」の立場は、「党の規律違反」として廃刊を指示=の取り消しが求められる。当時、政治的に争っていた構造改革論との関係があると言われているが、異論があるからこその議論であり・合意であり・統一(戦線)だろう。この決定はその後も生きていて、月刊誌『文化評論』1981年1月号に掲載された「小田実上田耕一郎対談」をめぐって編集者が責を問われている。異論を唱えた知識人・文化人の排除は何回も繰り返されている。協力関係を破壊する自縄自縛を解くことが求められる。

 【追記】

 『社会学評論』1999年50巻2号に収録された橋本健二氏の「戦後日本の階級構造-空想から科学への階級研究の発展」には以下の前文が付されている。
「戦後日本では、大橋隆憲らを中心に階級構成研究が独自の発展を遂げたが、彼らの研究は、資本家階級と労働者階級への2極分解論や、労働者階級=社会主義革命勢力という規定など、きわめて非現実的な想定に立っでいたこと、また特定の政治的立場を前提とした政治主義性格のために、階級研究に対する数多くの誤解を生みだし、このことが日本における階級研究を衰退させる結果をもたらしてしまった。いま必要なことは、階級研究からこうした理論的・政治的バイアスを取り除き、これを社会科学的研究として再構築することである。理論的には、1970年代半ば以降の、構造主義的階級理論から分析的マルクス主義に至る階級研究の成果を生かしながら、フェミニズムの立場からの階級研究批判に答えうる階級構造図式と階級カテゴリーを確立することが求められる。実証的には、社会階層研究の豊かな蓄積を模範としながら、計量的な研究のスタイルを確立する必要がある。本稿はこうした階級研究の発展のための基礎作業である。」
 この辺りを本文冒頭で以下の通り詳説している。
「戦後日本において階級研究は、官庁統計を利用した「階級構成表の作成」という、独自の発展を示した。大橋隆憲(1971)が用いた階級構造図式と階級カテゴリー、すなわち「大橋方式」は、一時は「定説」(原1979)とまで呼ばれて多くの研究を生み、これらが階級研究に対する一般的なイメージを形成してきた。しかし現時点で考えると、大橋たちの研究には2つの重大な問題点があった。第1の問題点は、資本家階級と労働者階級への2極分解を前提とした階級構造図式をア・プリオリに前提したことである。「大橋方式」は、資本家階級、自営業者層、労働者階級を主要な3カテゴリーとするものだが、ここには(1)資本家階級と労働者階級の間に新中間階級のような独自の階級・階層の存在を認めない、(2)「旧中間階級」のような独立した階級の存在を認めず、農民・自営業者=自営業者層を、労働者階級と同様に「被支配階級」として扱う、という2つの顕著な特徴が認められ、総じて2極分解論的な色彩が強い。しかも、大橋がこうしたカテゴリー構成に到達した過程には、不明朗な点がある。大橋が最初に階級構成表を作成したのは1959年だが、この時点では彼は、資本家階級と労働者階級の間に、専門技術職、事務職、保安・サービス職からなる「新中間層」が存在するとしていた(大橋1959)。ところが大橋は、この後9年間にわたって包括的な階級構成表を公表せず、1968年になって突然、この「新中間層」を「いわゆるサラリーマン層」として労働者階級に組み込んだ、「大橋方式」による階級構成表を発表するのである(大橋1968)。こうした大橋の変化には、政治的背景があった。日本共産党は、1961年に新しい綱領を採択するが、その前後から労働者階級は専門・事務職まで含む広い範囲の被雇用者からなると規定し、これにもとづいて作成した階級構成表を発表していた。そしてその直後から、一部の「研究者」たちが日本共産党の階級構城表を擁護する立場から大橋を批判しはじめるのである(佐藤1964、三潴1966)。大橋の階級構造図式の変化は、こうした動きへの対応であった。つまり「大橋方式」は、「前衛党」に対する知的従属のもとで作られた可能性が大きいのである。第2の問題点は、多くの階級研究者たちが、作成された階級構成表を極めて政治的に解釈してきたことである。たとえば大橋の後継者ともいうべき戸木田嘉久は、階級構成の上で労働者階級が多数を占めているという単純な事実から、労働者階級の急速な集積は、それ自体、米日独占資本の支配に対してもっとも非妥協的にたたかわざるをえない、社会的勢力の増大を意味する」と結論する(戸木田1976:373)。ここには、日本資本主義の対米従属規定という、研究の外部に由来する情勢認識が自明視されている上、労働者階級がア・プリオリに反体制勢力だと仮定されている。こうした政治主義的な解釈は、1980年前後までの階級研究には広くみられた。そして階級研究はしばしば、人口の多数を占める労働者階級が必然的に闘争に立ち上がり、統一戦線を担うようになるはずだという、空想の領域にさえ入っていった。このような「研究」が、「階級研究」の全体的なイメージを作ってきたことは、階級研究にとってまことに不幸なことだったといわねばならない。そのことによって「階級」という用語は、社会科学用語として使用するにはあまりにも大きな政治的バイアスを背負ったものとなり、階級研究は特定の政治的立場に立つ人々のみによって担われる、社会科学上の異界と化してしまったからである。いま必要なのは、階級概念をこうした政治的呪縛から解き放ち、階級研究を空想の領域から科学の領域へと引き戻すことである。」
 こうした問題意識から出発して研究された最新の成果が『新・日本の階級社会』(講談社新書)だ。