人畜無害の散流雑記

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 開発独裁国家・中国

 今更ながらだが、「社会主義国家」を標榜する中国の社会構成をどう位置付けるのか、相変わらず各種引用で検討した。
 まずは「Wikipedia」(2021年2月25日現在)から。
「多くのアナリストは、中華人民共和国は21世紀における国家資本主義国家の代表格であるとしている。例えば、臨時憲法である中国人民政治協商会議共同綱領第31条には「必要かつ可能な条件のもとで、私的資本が国家資本主義の方向に発展するよう、奨励すべきである」とある。政治科学者イアン・ブレマーは著書The End of the Free Market: Who Wins the War Between States and Corporations『自由市場の終焉――国家資本主義とどう闘うか』において、社会主義市場経済を掲げる中国は2008年の世界金融危機以降、先進国の自由市場経済に対抗する国家資本主義を推進する中心的国家であると述べている。」
 それでは、「国家資本主義」とは何か? 以下もWikipedia(同上)。
 国家資本主義(state capitalism)=学者や立場により色々な意味で使用されているが、通常は、①国家が資本主義に介入し管理するもの(修正資本主義)、②国家が資本主義を推進するもの(開発独裁など)などを指す。
 ①の例。1929年からの世界恐慌により、自由放任型の自由市場経済には限界があると考えられ、各種の混合経済的な政策や体制が進められた。アメリカではニューディール政策など、国家や政府が資本主義に介入して有効需要の創出や需給管理が進められた(ケインズ主義)。ファシスト・イタリアでは政府・ファシスト党主導のもとに財界・労働組合・農民などが協調し、統制経済政策が進められた(コーポラティズム)。第二次世界大戦後の西ヨーロッパの社会的市場経済、特に北欧では政党・財界・労働組合・農民など、一元化された各利益代表の協調によるネオ・コーポラティズムが発達した。戦後日本の規制政策(北欧のようなコーポラティズムよりも多元的な傾向が強い)なども含めて呼ばれる事もある(比喩的に日本型社会主義とも呼ばれることもある)。
 ②の例。18世紀以降の啓蒙専制君主や日本の明治維新や戦後の「日本株式会社」、20世紀以降の開発独裁などは、国家が自由主義や資本主義を含めた近代化を推進した。ただし政治上の自由は厳しく制限した場合が多い。多くの国では一定の経済発展を成し遂げると民主化を進めていったが、権力者による私物化や汚職が長期間行われた場合は、近代化プロセスが破綻しクーデターや権力者の国外追放といった結末に結びつくことが多かった。現代においても、鄧小平時代後の中華人民共和国の改革開放、ベトナム社会主義共和国ドイモイ路線、シンガポール人民行動党政権、プーチン政権のロシア(政権によるオリガルヒ統制)などが国家資本主義と呼ばれることがある。
 さらに開発独裁(developmental dictatorship、developmental autocrat)に絞ると=経済発展の為には「政治的安定」が必要であるとして、国民の政治参加を著しく制限し、独裁を正当化すること。また、そのような政治運営を通して達成した経済発展の成果を国民に分配することによって、支配の正当性を担保としている政治体制。
 これらの解説に加えて、天安門事件ウイグル自治区の抑圧、そして香港対応を考慮したとき、中国国家=開発独裁となる。今回の香港対応は、「愛国者の統治」に至り、ついに住民の政治刷新権=革命権を奪ってしまった。「革命」政党の自殺行為だ。何と自称しようと、その本質は「開発独裁」で間違いない。
 Wikipedia社会主義」には次の記述もある。
「なお、現在、社会主義を標榜する国家は、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)、ベトナムラオスキューバの5カ国とされている。憲法などで社会主義を国家理念・国家政策として掲げる共和国であり、単に共産党が政権を担っているだけでは社会主義国とは呼ばれない(キプロスサンマリノ、ネパールなど)。狭義にはマルクス・レーニン主義を掲げる国家、広義には社会主義的諸政策を推進している国家である。」
 地球上に社会主義国家が生まれていない以上、形態は様々だが、5カ国とも国家資本主義=開発独裁とするしかない。
 これまでの「社会主義国家」はすべて戦争の余波と武力革命から成立しており、また、帝国主義国側からの軍事的干渉・転覆計画を過去何度も経験したこともあって、国内の政治的反対勢力を「反革命」としてとらえるというトラウマが非常に強い。
 加えて、「アジア的な社会、すなわち非ヨーロッパ的な社会においては、原始社会の解体後に最初の階級社会としてアジア的生産様式が成立し、かつそれに基づく経済的社会構成は、近代に至るまで、すなわちヨーロッパ列強によるアジア諸地域の植民地化、反植民地化まで続く」というマジャール、ウイットフォーゲルによる、アジア的生産様式=独自の社会構成説が生きている。これは、社会主義標榜国だけでなく、日本を含むアジア諸国全体に貫通する課題でもある。
 西欧では、封建主義の中で、王権と貴族・商工業者が対立し、自治的感覚を養い、資本主義の発達過程で、農民が「自由な」労働者化し、資本と対立してきた。つまり、資本主義の成立に沿って、民主主義を創り上げてきたといえる。アジアでは、資本主義・民主主義が突然、外から持ち込まれる形になっており、自国の歴史に見合った形での受け止め・定着が必要とされている。
 各国での資本主義の発展が、個人の民主主義的感覚を磨いていく速度が歴史的課題だろうし、それが各国での開発独裁からの解放を生み出すことになる。現代では、武力革命同様、武力による開発独裁の打倒は考えられない。アフガニスタン、シリア、イラクなどで証明済みだ。タイやミャンマーでは非暴力的抵抗が続いている。明が約200年、清が約300年、それくらいの単位で見ていくことになろう。アメリカ合州国本多勝一流表記)は、南北戦争から170年経っても、人種・民族・宗教による差別が厳然と存在し、選挙結果を否定して銃を持ち連邦政府を襲う程度の民主主義水準だった。日々の永続的意識的努力なしには各種の差別や偏見がなくならないことを示している。EU諸国による移民受け入れ拒否も続行中だ。COVIT19ワクチンの世界配布問題もある。世界の民主主義は道半ばにも達していない。
 「アジア的共同体」意識を打破し、個人的尊厳を社会的に創造していく努力は日本でも強く求められる。