人畜無害の散流雑記

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マスコミは、憲法討論・学習の場を365日設けよう

 2021年5月3日付朝日新聞朝刊に掲載された同社による郵送法全国世論調査(3000人対象、回収率73%)によると、「衆議院選挙の一票の価値が、都会では地方の2分の1程度でも憲法違反ではない」という最高裁の判断に対して、
 「大いに納得できる」4% + 「ある程度納得できる」36% = 40%
 「まったく納得できない」10% + 「あまり納得できない」40% =50%
となっていて、「日本の有権者」の法的意識が2分されている、としている。
 国政選挙のたびに、弁護士有志が「この判断」に異論を唱えて提訴するのが定例行事になっている。
 憲法14条第1項「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」を素直に読めば、基本的人権の核心部分の一つである「参政権」が、地理的要因で差別されて良い、とは理解できない。それを、「地方は過疎だから、都市住民の2倍の参政権を与えて良い」とするのが最高裁判決で、これは、本来、政治が議論すべき調整を司法が行っている政治的判断だ。地方の政治的評価を異常に高くするのは、藩閥政治の名残りなのだろう。
 「米軍基地」を巡る砂川事件の長沼判決(1959年3月)に関しては、最高裁の検討状況を最高裁長官が在日アメリカ大使に報告していたことが明らかになっているし、最近では、学術会議を巡って、内閣が任命するから「公務員の一員」であり、会議会員を内閣は選別できるという見解さえ大手を振ってまかり通っている。最高裁裁判官は内閣の任命だから、これも内閣好みに選別できることになる。いずれにしろ、日本の最高裁を含む裁判所は政治的に行政(国会・内閣)から独立できていないし、それを良しとしている。それが日本の現状であることを認めて、民主化していく努力が必要なのだ。
 さて、ここから本題に入る。放送を含めてマスコミ全体が、毎年5月3日の「憲法記念日」には憲法条文に絡む様々な特集を組むが、その場限りになっている。学校教育を含めて社会的にどれほどの憲法討論・学習が行われているのかを考えると、今回の朝日新聞の設問自体への法的理解度は不明で、感覚的に回答されているのではないかとの思いが強い。国民の憲法理解・浸透度の1素材としては有効かもしれないが、日本政界で現在行われている「憲法改正論議に寄与するにはまったくふさわしくない。
 安倍前首相が「憲法改正」を高らかに歌い上げてから8年経っても表層の論議を繰り返すだけで、現行憲法そのものの理解が深まっているとも思われない。ネットを含め、これだけの表現の場があるのだから、憲法討論のチャンネル・ユーチューブ・アプリなど365日8時間番組を作って、全103条を逐条検討する規模の国民的討議を組織できないだろうか。1年で終了する必要はない。社会的変化を含めて5年程討論すれば、論点を網羅・整理できるだろう。そうした継続的な憲法学習・討議抜きに世論調査を繰り返したところで、国民の一時的感情や保守性が表現されるだけで、日常生活の中で憲法を生かすこともできないだろう。