人畜無害の散流雑記

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 「アジア的生産様式」ノート 福本勝清氏の論考要約

 「アジア的生産様式」は定義されていない。その存否でさえ議論がある。ここでは、福本氏が整理してくれた諸説の中から、自分の感覚に合うものを抜粋するしかない。社会科学全般にわたり基礎理論・研究を系統的に学びえず、マルクス主義にしがみついてきただけの一市民にできることはその程度だ。
 以下、「史」は『アジア的生産様式論争史』(2015年11月刊)、「水」は『マルクス主義と水の理論』(2016年7月刊)を指す。
 
 まず、マルクスからの引用。
「大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩してゆく段階としての、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげることができる」(『経済学批判』序言(1859年)、岩波文庫1956年、福本『水の理論』P43から孫引き)
「こうして、所有は、本源的には―したがって、そのアジア的、スラヴ的、古代的、ゲルマン的形態にあっては―労働する(生産する、または自己を再生産する)主体が彼のものとしての彼の生産または再生産の諸条件にたいしてとる関係を意味する。」(『諸形態』(1858年頃執筆)、青木文庫1959年P49)
「アジア的国家において、収穫は政府の良し悪しに依存し、ヨーロッパでは、それは天候の良し悪しに依存する。」(「イギリスのインド支配」、『水の理論』P260から孫引き)
「気候と土地の条件、特にサハラからアラビア、ペルシャ、インド、タタールを通り、最高地のアジアの高原へ広がっている広大な砂漠地帯は、運河や水利施設による人工的な灌漑を東洋的農業の基盤とさせた。エジプトやインドにおけると同様に、メソポタミアペルシャ等においても、洪水は土壌を肥沃にするために利用されており、高水位の水を供給する灌漑用水路は利便を与えている。この水の経済的、共同的利用の最重要な必要性は、西洋においてはフランドルやイタリアにおいて、個人事業を自発的連合へと向かわせたのであるが、自発的連合を生み出させるには文明があまりにも低度で、国土の範囲があまりにも広すぎた東洋においては、政府の中央集権的権力の介入を必要とさせたのである。それ故に、公共事業を行うという機能、一経済的機能がすべてのアジア的政府の上に負わされたのである。」(マルクス、引用先不明、『評伝ウィットフォーゲル』P132~133)
 
 まず、最初の確認は「アジア的生産様式」が歴史的に存在しているという事実だ。
 東洋における封建制、東洋古代の奴隷制、総体的奴隷制、国家的奴隷制奴隷制の古代アジア的なコース、原始共同体的生産様式等々このような呼び変えが何度も試みられたのは、アジア的生産様式が指し示すものが「誰にとっても、疑いなく、確固として存在するからにほかならない。」「奴隷制にも封建制にも還元されることなく、また原始共同体社会にも解消されることのない、それ自身固有の社会構成(敵対的な社会構成)をもつ独自の生産様式としてのアジア的生産様式、それはもともとマジャールなどアジア派が唱えていたものであった。ウイットフォーゲルもまた同じ見解にたっていた。」(史P117)そして、「アジア的生産様式のもとにおける階級関係が、貢納制であること」は「多数の者が認めている」。(史P130~131)
 日本の論争で「アジア的生産様式の特徴とされる」のは、①大規模公共事業、②アジア的共同体の長期にわたる残存、③私的な土地所有の不在、④デスポティズム、⑤農工の強固な結合」で、共同体論は②③④⑤をカバーするものとして、アジア的生産様式論の中心にすえられ」た。①は、ウイットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』(1957年)の発表によって、灌漑・治水を基礎とした東洋的専制主義が20世紀社会主義全体主義をもたらしたとされ、反共理論への加担とみなされることを恐れ、第二次論争から灌漑・治水は論拠にされなくなった。(史P134)
 
 多系的発展説のうち、「アジア的な社会、すなわち非ヨーロッパ的な社会においては、原始社会の解体後に最初の階級社会としてアジア的生産様式が成立し、かつそれに基づく経済的社会構成は、近代に至るまで、すなわちヨーロッパ列強によるアジア諸地域の植民地化、反植民地化まで続く」というマジャール、ウイットフォーゲルによる独自の社会構成説(史P220)がイチ推しだ。

 「日本のアジア的生産様式論者、あるいは理解者のほとんどは、アジア的な原始共同体社会から奴隷制への転化は否定しても、その封建制への転化を認める傾向が強い。その理由の主要なものは、おそらく、アジア的社会が古代から近代まで……アジア的生産様式のもとにあったとするのは、アジア的社会にいっさいの発展的契機を認めないアジア的停滞論に陥ることになると考え、その危険性を回避」しようとしたのだろう。(史P341)
 ※「ある社会構成体内で生産力が十分に発達し、生産手段の所有関係と矛盾が生じる時に別の社会構成へと発展していく」というのがマルクス主義構成体論の基本だから、アジア的生産様式に基づく社会では生産力の発達が西欧に比べて緩慢だったとしても、不均等発展は世界史の事実であって、そのことを「停滞論」などと卑下することはない。地球上で社会が均等に発展していると考える方がどうかしている。絶対的精神が各所に発生し具現化ていくなどありえない。
 マルクス主義において、農村共同体あるいは農業共同体とは、一般的な村落のコミュニティを指して言っているのではない。それは、マルクス「ヴェ・イ・ザスーリチの手紙への回答・下書き」(一八七一年)において示された、原始社会から階級社会への移行期における共同体、原始共同体の最後の段階を指す。農村共同体における、太古より引きずって来た土地共有制と、宅地を中心として広がる私有地との、所有の二重性が、この段階の所有を特徴づけるとされる。」(史P209)
 福本の見解。「東洋的な専制国家のもとに存在するのは、アジア的所有であって、村落は、個々の専制国家およびそれを支える社会的経済的システムの在り方に応じて存在するのであって、共同体として存在するのではない。」(史P334)

 灌漑・治水は共同体事業であり、指揮者のもとでの共同労働となる。それは、個々の経営にとっての必要労働を超える剰余労働だが、共同体のためには必要労働でもある。「このような共同体のための必要労働は、共同体の首長が、共同体成員に対し強制力を発揮するにつれ、賦役に転化する。」(水P29~30)
 水利事業の規模が大きくなるにつれ、要求される技術レベルは高まり、専門の職人・技術者が必要となり、道具・食糧・木石材・人員など事前準備は大量となる。水利施設建設を計画した総括的統一体の長は、それらを用意しなければならない。「大規模公共事業は、官僚制の形成を促す」。(水P30~31)
 水源の確保や水の供給は、作物の種類、播種・収穫などの農作業日程、施設改修の労働力確保などとも関係し、農業全般に関わってくる。「アジア的社会においては、首長層は、農業への関与、あるいは共同体のための賦役労働を通じて、地域全体に対し、強い影響力を行使」できる。「結局は勧農権の問題となる」。(水P33~34)
 「アジア的社会において、個人の所有権の弱さが、王や国家の政治意志に対する抵抗を難しくしているという問題」は、極めて今日的な課題である。(水P37)
 「総括的統一体を、現在の人類学的用語であらわせば、おそらく首長制社会から未開国家もしくは初期国家への時期における政治組織に相当するだろう。それが統一体といわれるゆえんは、その一体性にあり、社会をまるごとひっくるめて支配している、あるいはその指導を引き受けているといえる。そして、その一体性は、専制国家に引き継がれる、あるいはその一体性が専制化への転換の契機を含んでいる」。(水P38)
 「水利を必要とする社会においては、共同体成員の所有権が確立したことはなかった」。「アジア的社会においては土地所有とは、つねに共同体に依存したものであった。あるいは共同体を代表する首長や共同体に君臨する王に依存したものであった。首長や王の意志から独立した所有、すなわち所有権は成立することが極めて困難であった。」(水P39)
 ※「土地の公的所有」という側面から見れば、東洋的専制主義も中国社会主義も同一と言える。日本でも、明治維新の土地登録までは、全国の土地所有権は天皇にあったのだろう。
 「総括的統一体から専制国家の道は、平坦ではない」し、「一本道でもない」。それぞれのプロセスで「一種の飛躍が必要」だ。飛躍のために、「新たなイデオロギー的補強が行われ、飛躍が正当化される」。「権力の一極集中に対応しているのは、他のすべての成員の無権利」であり、これもまた正当化される。「実質的な権利や権力の所有者たちもまた、一極に集中された権力の分与として、至上権に従属してのみようやく成立する権利や権力となる」。その権利・権力の程度は専制化の程度による。(水P42)
 玉城哲(1976年)は言う。「生産の不可欠な前提としての大地の所有は、不幸な分裂をとげている。土地そのものは、少なくとも現象的には私的な所有を確立している。しかし、水は公的所有として、国家の手中にある」。水の獲得・制御が、生産の客観的条件として絶対性を持っているとすれば、「真の意味での土地の私的所有は存在せず、国家的所有のもとに戯画化された私有形態が存在するにすぎない」といえる。(水P80~81)つまり、水の供給者への強依存となるアジア的社会では、「自立した小農民経営の形成」は不可能だ。(水P85)
 ゲルマン的共同体社会では、「法は神に属し、その前では、王も自由農民も等しい存在とされる」が、アジア的社会では、法は「王より恩恵として公民に与えられる」。(水P84)アジア的社会では、「総括的統一体の長(王)とは、勧農権の主宰であり、かつ、外部機構である水利施設の所有であった。」「つまり、より強い支配力を農民に及ぼすことが可能であった。」(水P86)
 古代日本では、「王は土と水の所有者」だった。「古代国家は、総勧農権を保持し、執行した。律令制における徭役の比重が大きかったことは、それを表している」。古代末期、在地首長層が国家の勧農権を簒奪する」。彼らは、「郡司」として「公として振舞っているがゆえに、良民をも賦役に徴用できた」。「日本の農業社会がまず、無数の小さな盆地や扇状地など小水系において成立した」ことが、その背景にある。在地首長層の支持のもとに成立した武家政権鎌倉幕府は、朝廷とともに総勧農権を分有するにいたる」。「日本の中世においても、さらには近世においても、中央、すなわち大きな公は継続して残った」。「中央もしくは大きな公は、小さな公に対して、依然として共同体のための賦役労働の徴発を命じたり、制限したりする権限を持っていた」「たとえば、利根川木曽川、淀川などの広域にわたる治水事業は、幕府の命による国益普請として行われるのが常であり、諸藩の枠を越えて多数の農民が動員され、堤防の築造や、河川の浚渫にあたっている。」(水P111~112)
 「アジア的生産様式は、古代における生産様式であるとともに、古代以降、中世、近世を貫いて、その特殊性を日本社会に刻印し続けた、とするのは、講座派の総帥野呂栄太郎の「国家=最高地主説」以来の論法」だった。(水P290)
 灌漑・治水への共同労働は、「自発的必要労働」→「共同体の長からの要請」→「強制=徭役・賦役」→「共同体成員の義務」へと転化する。(水P144~145)
 〇インド。分節国家における「王、寺院、在地首長層」の関係。「王は寺院によって、聖化される。代わりに王は寺院に土地を寄進する。在地首長層はその寺院を支える経済活動をする。具体的には、寺院に金銭を寄進し、その資金を使って寺院は王より寄進された土地の灌漑を行う。」「寺院は祭礼のおり、王の威徳を称えると同時に、在地首長層を祝福する。王は在地首長層を臣下とし、その在地支配を認める。臣下は貢納および軍役を果たす。」(水P148)「インドにおける祭儀権の強さ。勧農権が自立」できず、「僧院や寺院による祝福を通さなければ、農民を領導できない独特の政治文化が存在した」。(水P176)「水利をめぐるトライアングルの衰退は、水利施設の維持を」困難にする。決定的だったのは、「インドの植民地化」だった。「植民地期はこの水利における連関を断ち切る結果となり」、灌漑施設の荒廃化が進んだ。(水P149~150)
 「アジア的社会における資本家的な企業が、見かけの近代的な相貌とは裏腹に、過酷な専制的性質を帯びるのは、支配が二重になっているから」だ。「一つは、資本家としてすべてを用意した側が、雇用された側のギリギリの生存に必要な資料以外にはどんな支払いをする必要もないこと」、「もう一つは、雇用といいつつ、雇用されているのは村落農民であり、彼らは伝統的な共同体のための賦役労働を、たとえ賃金の支給という形にせよ、強いられているから」だ。(水P168)

 ※つまり、最低賃金を支える農村で、これは戦前の昭和恐慌に至っても日本に存続した。
 〇中国。「夫役や建設資材の供出は、決壊した地域にだけ求められたのではなかった。それよりはるかに広大な地域に対し供出が命じられた」。「村落の農民たちはやむをえず、負担を回避し、負担を互いに押し付けあう間柄に」陥った。中国の村落が「けっして共同体ではありえない」要因だ。つまり、「専制国家のもとにおいては、村落は共同体ではありえない」。「差異や序列があるがゆえに、互いに結びつき合う村民の関係」差序格局だ。これは、農村共同体解体後に成立した。(水P193~194)これは広大な地域にある孤立した集落について成立する論理ではないか?
 「支配者(王や皇帝)の農業への関心そのものが、アジア的な響きを持つ」。「西欧の諸王は、農作物の豊凶に責任を負うことはない。それはまず気候のせいであり、最終的には神に帰す事柄」だからだ。(水P197)
 「ベネチアにおいて農地のために水を要求したのは大土地所有者=土地貴族であった。彼らは、自らの収益の拡大のため、経営のための投資として水に投資した。」(水P212)
 「海面より低いオランダの干拓地においては、治水事業こそ生命線」だった。「人々は堤防管理の費用を税金として支払った。堤防と水の前では人びとは平等で民主的であり、ウォーターボードは世界でもっとも初期の近代的な民主主義的自治組織となった。」(水P213)
 「一般に水稲農業は、たとえ天水田であっても、集水域は必ず自分の田よりも大きく、水は他人の土地を経て自分の田に注ぐことになる。ゆえに、個々の農戸の自己経営といっても、他人との協力を欠かすことができない。そこがヨーロッパに典型的な小農民経営とは異なる」。「協働連関の可視性」(水P218
 「盆地や小平野を基盤にした政治権力は、盆地内の地域ごとの政治勢力に依拠して初めて政権たりうる」。「首都の盆地は、他の地域に対し相対的優位にあっても、絶対的優位を確立」できない。(水P220)
 「結局、専制国家生成と深く結びついた大規模水利事業というのは、古代文明や古代専制国家を発生・成立させたような大河地域にこそふさわしい。」(P221)
 王の勧農権=食糧保障(臣民を食わせる)と、臣民の賦役労働は釣り合っている。(水P222)
 〇ロシア。「では、水の契機をもたないロシア社会のアジア的性格は如何に形成されたのであろうか」。「モスクワはモンゴル式の奴隷制の毒悪と悲惨な学校のなかから成長し、その教育を受けてきた。彼らはただ、その強さを、奴隷の技術の達人になることで、勝ち取った」(マルクス『十八世紀の秘密外交史』)とするマルクスの観点(「タタールの軛」)をメロッティはそのまま引き継いだ。「モンゴルのハーンの専制統治のもとでは、無条件の服従しか存在せず、どんな形の権力の行使も、ハーンの許しのもと、ハーンを代表してのみ、そうすることが可能であった。」「その二百年にも及ぶ屈従を通して、統治方法を学んだロシアの君主たちのなかで、イワン三世はロシア国家の真の意味での組織者であった。」「イワン三世は、モンゴル式に、臣民に対し厳格な管理体制と義務兵役制を敷き、全ロシアに対し領土要求を行い、長子継承制度を樹立し、自ら軍隊を統帥し、教会と国家を統一した。彼はさらに中央集権的な統治と軍事行動の必要から、新たな等級制度を設立し、文武官僚を統制し、その等級に応じて土地を賜与した。」「イワン三世は、政治、経済、軍事、宗教の大権を一身に集めた真の専制君主」だった。「イワン四世のもと、あるいはピョートル大帝のもとで作り上げられたロシア帝国の諸制度、各階級、都市農村、工業と農業も、みな、西欧のものとは完全に異なったもの」だった。「中産階級は存在せず、都市も工業も新しい官僚階級も、専制に依存したもの」だった。「負担はすべて農民に押しつけられた(農奴制)。「みな農奴制に寄生しており、農民からの搾取は、ひどく残酷に行われた。」(水P286~287)


 「論争が英語圏に移るに至って、アジア的生産様式論争は各国共産党との関係をほぼ失い、はるかに自由なものとなった」。それは、革命党の戦略ではなく、第三世界へのマルクス主義的探求となった。(水P338)
 ティヘルマン:「原始共同体社会崩壊と資本主義成立の間の歴史において、西欧世界と非西欧世界を区別する」。西欧世界=北西ヨーロッパ。「非西欧世界は二つの地域に分かれる」。「土地私有に基づき私有財産をもつ階級の発展の余地がある社会(ローマ帝国ビザンツ帝国)と、特権階層が国家に依存しつつ権力の集権化を伴う型の社会(中国、東南アジアなどアジア的生産様式に支配されている地域」だ。「日本については、アジア的諸関係の不在および非アジア的国家によって特徴づけている。その理由としてヨーロッパ大陸に対する英国のような地理的な孤立を挙げている」。対して、アジア的な中国は、「農業文明として、前資本主義社会において達成されたもっとも高いレベルに到達した」とした。中国・インド・東南アジアというアジア的社会内部の地域的区分とその種差について積極的に提示した。(水P342~347)
 クルミ・スギタ:「古代日本の歴史を、アジア的生産様式論の立場から読み解こうとし、生産諸条件(大地)先占の前提としてのローカルな共同体と、共同体所有の枠組を現す上位の共同体(総括的統一体)の相互関係のなかで国家の発展を構想する」。内発的発展論=停滞論克服を意図している。(水P349~353)以上

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