人畜無害の散流日記

別ブログ閉鎖で引っ越して来ました。自分のための脳トレブログ。

佐伯啓思氏の憲法観を憂う

 佐伯啓思氏は保守思想界の泰斗である、との評価をどこかで読んだ覚えがある。そこで、そのつもりで氏の著述に関心を寄せている。
 月1回程度掲載される「異論のススメ」も緊張感を持って楽しみにしている。今回は「憲法9条の矛盾 平和を守るため戦わねば」だった。(朝日新聞17年5月5日7面)
 一読して、「佐伯氏は憲法に関するとなぜ素人化するのだろうか?」という疑問が大きくなった。従って、こんな駄文を書かねばなるまいというような気持ちが湧いてしまう。率直に言って、保守的知識人としての権威を貶めてほしくないのだ。
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 今回の小論の結論。「「平和とは何か」という問題はひとまずおき、仮に、護憲派の人たちのいうように、「平和こそは崇高な理念」だとするなら、この崇高な価値を守るためには、その侵害者に対して身命を賭して戦うことは、それこそ「普遍的な政治道徳の法則」ではないだろうか。それどころか、世界中で生じる平和への脅威に対してわれわれは積極的に働きかけるべきではなかろうか。私は護憲派でもなければ、憲法前文をよしとするものではないが、そう解さなければ、「全世界の国民」の平和を実現するために、「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という恵法前文さえも死文になってしまうであろう。」
 これに私は同意する。何を武器にしていかに戦うか、という具体論抜きの一般的抽象的論に反対するものは皆無であろう。
 問題があるとすれば、憲法施行70年間で、「世界中で生じる平和への脅威に対してわれわれは積極的に働きかけ」て来たのかどうかだろう。憲法施行後の戦後日本を生きて来た団塊の世代の一人として、胸を張ってそう言えるのだろうか。それは一般的主張ではなく、現実の足跡であろうし、現在の立ち位置でもある。
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 佐伯氏の論を読もう。
「私がここで述べたいのは、現行の法的枠組みのなかでいかなる対応が可能なのか、という技術的な問題ではない。そうではなく、国の防衛と憲法の関係というかなりやっかいな問題なのである。」
 何が厄介かというと、
「 ところが、今日、もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」いるわけにはいかなくなった。 ということは、9条平和主義にもさしたる根拠がなくなるということであろう。考えてみれば、日本は、北朝鮮とはいまだに平和条約を締結しておらず、ロシアとも同じである。中国との国交回復に際しては、尖閣問題は棚上げされ、領土問題は確定していない。つまり、これらの諸国とは、厳密には、そして形式上は、いまだに完全には戦争が終結していないことになる。サンフランシスコ講和条約は、あくまで米英蘭など、西洋諸国との間のものなのである。」
 後段は何を今更だ。サ条約締結を巡る片面・全面講和論争と政争の歴史を忘れてしまったのか。片面講和を時の政権が選択し、アジアの講和を後回しにしてきた結果が現在だ。
 さらに、戦後長く日本の政治を主導し、実際にも担ってきた自民党系政権が、果たして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」外交を実行してきたのか。実際には、アメリカ追随の戦争補助だったろう。
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佐伯氏続。「こうした矛盾、あるいは異形を、われわれはずっと放置してきた。そしてもしかりに米国と北朝鮮が戦争状態にでも突入すれば、われわれはいったい何をすべきなのか、それさえも国会でほとんど論議されていないありさまである。米国がすべて問題を処理してくれるとでも思っているのであろうか。」
 放置してきたのではなく、自民党系政権が推進してきたのだ。そして、アメリカが戦争処理する補助手続きを財政的法的に整備してきたのだ。アメリカにとって日本は不沈空母の役割をしている。アジアの反共・対アメリカ障壁であることはこの70年来変わっていない。アメリカ本国に被害が及ばず、日本の基地が戦場化する程度で済めば、「米国がすべて問題を処理してくれる」だろう。
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 総じて、佐伯氏の論には、憲法に掲げられた理念を具現化しようという意志が感じられない。理念なき法律は何も律することはできない。意志無き理念は無力だ。日本国憲法の成立過程に諸問題があったにしても、当時の国会が審議し成立させ、国民が受け入れたという歴史的事実とその背景・意義をしっかり受け止めることが第一義だ。そこで掲げられた理念を実現しようと現実と格闘することを求められてきたはずなのだが、歴史的には、安保法体系を対立させ憲法を形骸化させてきてしまった。だが、EU確立もアメリカの国民的融和も、歴史は常に一進一退だ。パレスチナのように見通しが立たなかったり、立っても道筋が困難な場合もある。だが、理念を忘れ、現実的対応だけに終始したら、「核には核で」という結論は見えている。地獄への道であり、日本国民は臣民として経験した道だ。
 佐伯氏は日本の針路をどこに向けようとしているのだろうか。それを示すのが保守思想家の役割だろう。