人畜無害の散流雑記

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憲法を順守し、生活の中に深化させる姿勢 ―「象徴としてのお務め」に寄せて

 16年8月8日の15時に公表された平成天皇のビデオレターをユーチューブで16時過ぎに見、翌朝の朝日新聞で全文を確認した。
 私が最も感銘を受けたのは次の点だった。
「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。」
 その模索内容は以下の通り。
天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」

 ここにあるのは現日本国憲法への敬意であり、その内容を謙虚に受け止め、現実の生活の中に生かそうとする教養人としての姿勢だ。「教育者が教育され」ねばならないように、天皇もまた自らを律しなければならない。しかも、それを、誰に強要されるのでもなく自らが模索するしかないという毅然とした姿だ。
 この姿勢と安倍政権の現憲法への蔑視とはまるで懸け離れた国の話のようだ。首相をはじめとする閣僚ら公務員は憲法擁護義務を負っている(99条)はずだが、そんなものは眼中になく、ひたすら「改憲」を叫んでいる。歴代の自民党政権では、9条はもとより、例えば、24条の「個人の尊厳と両性の本質的平等」、25条「健康で文化的な最低限度の生活」などいわゆる国民の「権利」についての憲法の規定を生活の中に生かそうとした気配はないと言ってよい。むしろ制限してきたことが実態だ。
 憲法を云々するのなら、現憲法の諸条項を生活に反映し深化させ、そのうえで必要になれば「改正」を提起すればいいのであって、現憲法の規定を無視しその内容を虚にしておいて、その責を憲法に科するのは逆さまな話だ。
 天皇の「象徴制」への問題提起は、安倍自民党政権の現憲法への姿勢を鋭く問うものとなっている。