人畜無害の散流雑記

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保守の泰斗を憂う―佐伯啓思氏の憲法論

 朝日新聞朝刊 16年6月8日付4面・「憲法を考える」に以下の一節がある。
憲法を本当にわかっているんですか?
保守を自認し、その思想に詳しい佐伯啓思・京大名誉教授に問われ、たじろいだ。(中略―引用者)
「西洋の憲法は革命的な出来事のなかで作られ、王権との戦いを通じて市民が権利を唱え、近代立憲主義ができた。日本は それと同じ歴史ではない」
単純化すればこうだ。
今の憲法は市民が作ったものではない。だから、正統性をもたない。」
たじろぐのは記者の勝手だが、ここでは佐伯名誉教授の認識を検討しよう。
 1.憲法制定過程にはその国・地域の歴史が集約されている。
 これは問題ない、というか事実だ。従って、中国の憲法北朝鮮憲法もそれとして認めることになる。アフガニスタン、エジプト、タイ、もしあるとしたらISですらもだ。

 2.日本の憲法史は新しい。大日本帝国憲法の発布は1889(明治22)年2月11日で、天皇の諮問機関だった枢密院の検討を経て天皇が制定した欽定憲法だった。つまり、市民が王権と闘って作成したものではない。佐伯氏の言う通りだ。

 3.憲法に集約される歴史観・価値観は、それが社会の合意―強制的にせよ・納得づくにせよ―となっていれば立派な社会体制でもある。この社会体制と他の社会体制との闘争の軍事的形態が戦争だ。
 戦争に負けることは、その社会体制が他の社会体制に打倒されることを意味する。その典型例は、大日本帝国憲法下の朝鮮半島支配であろう。日本語使用、神社・皇居拝礼、創氏改名など日本化を強要したのだ。
 さて、ここからだが、大日本帝国憲法を掲げた立憲君主国日本は、1945(昭和20)年8月14日、西洋の近代立憲主義で作成された憲法を持つ国が多くを占めた連合国が出したポツダム宣言を受け入れ、翌15日天皇が「終戦」を宣言した。要するに、連合国に負けたのだ。そのときの唯一の条件が「国体維持」だと言われる。
 こんなことを書くなんて、釈迦に説法そのものだが、仕方がない。
 実際には、日本を占領したのはアメリカ軍だった。占領初期には、連合軍の反ファシズム・民主主義擁護の共通理念を日本統治に生かそうとする。その際、日本の政治・行政機構を破壊するのではなく、軍国主義的要素を取り除きながら再構築しようとした。その一環として、新しい日本国憲法の検討を指示したのだが、1946(昭和21)年2月8日連合国総司令部GHQに提出された憲法改正要綱は大日本帝国憲法を踏襲した旧態依然たるものだった。そこで、GHQは急いで現在の日本国憲法につながる草案を作成し、内閣に提示したのだった。要するに、敗戦の意味を政治家は理解していなかったのだ。したたかに言えば、国体の上に、連合国=アメリカを乗せてしまえばいい程度だったのだろう。そして、それがそのままの構図で、70年以上引きずっているのだ。アメリカのすることには異議を唱えず、基地を提供して国際戦略に積極的にかかわる。その代り、国内政治には口を出させないようにして、大日本帝国憲法史観を取り戻そうというわけだ。
 一方、日本国民は、それまでの国際的な経験を踏まえた先進的で格調高い民主的な内容を含む新憲法を大歓迎した。そして、憲法をめぐる闘いが戦後の日本政治の大きな課題になっているのだ。

 4.佐伯氏には敗戦の社会的意味がよく理解できないらしい。別のところで、「占領下の憲法制定って何だ」てなことを言っていたような記憶があるが、これも同じことだ。満州国建国の例もある。日本の歴史をたどれば敗戦、占領、植民地化の意味は分かりやすいだろう。

 5.最後に一つ。保守の基準とは何だろう。二百数十年続いた江戸時代の社会慣習を守ることか、せいぜい明治以来の政治慣習を守ることか、大日本帝国憲法観を守ることか、日本国憲法観を守ることか。佐伯氏は、「敗戦」を抱えて立ち止まっているように見える。